赤とんぼ
音楽と物理学 へ戻る
ばいおりんの日常的物理学文集 へ戻る
2012.02.13
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
負われて 見たのは
いつの日か
山の畑の 桑の実を
小かごに 摘んだは
まぼろしか
十五でねえやは 嫁に行き
お里の 便りも
絶え果てた
夕焼け小焼けの 赤とんぼ
とまっているよ
竿の先
大正10年(1921年)に三木露風によってこの詩が発表され、 その6年後、 山田耕作によって曲がつけられました。
明治大正時代には、 ねえや( 子守娘 )という少女の労働がありました。 中には、 住み込みの家政婦のようなケースもあったと思われます。 その労働の売り手は貧しい農家で買い手は裕福な商家であったでしょう。 というと、 ねえや ( 子守娘 ) には、 口べらしのような哀れなイメージを持ってしまいがちです。 「 五木の子守唄 」 が浮かんでくる人は特にそう思われると思います。 しかし、 ねえや( 子守娘 )には、 花嫁修業や結婚斡旋をしてくれて、 豊かな将来の可能性を与えてくれるという、 明るい面もあったものと思われます。 それは、 地域の共同生活の一環でもあったのではないでしょうか。
ある晴れた秋の日の夕方、 畑の杭かなにかに止まっている一匹のアキアカネが、 三木露風の目に止まります。 そして彼もまたその空間の中で動きを止めます。 すると時間が広がっていきます。 そして彼は、 自分が生きてきた時間の中を、 順行性に移動し始めます。 彼が5歳のとき。 季節は秋、 オレンジ色の風景です。 両親が離婚し母を失います。 ねえや( 子守娘 )に負われて見たのは、 夕方の田畑の上をたくさんの赤とんぼが自由に飛びかっている光景だったと思います。
彼が10歳の頃でしょうか。 季節は初夏、 黄緑色の風景です。 山里の桑畑。 絹の原料となる繭を作ってくれる蚕の餌になるのが桑です。 その実は食用になったり酒の原料になったりします。 ここでもまた、 彼は何かを失っています。
彼が15歳の頃。 季節は冬、 灰色の風景です。 失ったねえや( 子守娘 )は、 彼の大人へと向かう成長のあかしです。 彼は時を移動し続けます。
こうして思い出の時の中の移動を、 感謝の気持ちで静かに終えた彼は、 次第に空間をズームインしてピントを合せ、 再びオレンジ色の風景で、「 只今ここ 」の時空点を迎えます。
この歌は、 空間の移動と静止と広がり、 時間の移動と静止と広がり、 そして観察者から見た対象物の移動や大きさの変化という、 時空間の相対的な関係を、 色鮮やかにうたっています。 また、 この童謡には日本人の懐かしい風景があり、 なおかつ、 一期一会の境地に起承転結するという、 文学的な味わいもあって、 多くの人たちから愛されているのです。