バブル崩壊までの自己紹介
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2017.12.04
昭和39年( 1964年 )、 幼稚園生だった私は、 近所の母の友達の家で東京オリンピックを見た記憶があります。
昭和44年( 1969年 )、 人類、 月に立つ。 その背景には米ソの激しい核開発・宇宙開発競争がありました。 私は小学5年生で、 視聴覚教室でみんなとテレビ中継を見ました。
昭和45年( 1970年 )、 同じアパートの同級生が大阪の万博に月の石を見に行ったのですが、 それは特殊なケースだったので羨ましいとも思いませんでした。
昭和46年( 1971年 )、 総理大臣はずっと佐藤栄作だったし、 このころの米国大統領がニクソンでありテレビに映った顔も覚えています。 しかし、 この年にニクソンショックというのが起こって変動為替相場制に移行したということは認識していませんでした。
昭和47年( 1972年 )は、 いろんなことがありました。 寒い2月に起こった浅間山荘事件。 念願のマイホームができて転校。 田中角栄が日本列島改造論という著書を発刊してブームになりました。
昭和48年( 1973年 )は、 都会のおばさんたちがトイレットペーパーの奪い合いをしているのをテレビで見てびっくり。 オイルショックです。 当時はニクソンショックによる円高不況対策として、 公定歩合を引き下げる金融緩和・インフレ政策が行われていたそうですが、 そこに持ってきて需要が一気に高まり狂乱物価となり、 それを契機にその後10年間は激しい物価上昇が続きました。 物価上昇が続けば本来は公定歩合を引き上げる金融引き締め・デフレ政策が行われなければならないのですが、 不況が続くために金融緩和・インフレ政策を続けなければならなかったからです。
昭和50年( 1975年 )からは、 財政赤字を補うための赤字国債の発行が認められるようになり、 日銀の買いオペによって金融緩和・インフレ政策に拍車がかかります。
昭和55年頃、 大学に今式のコピー機が入りました。 このころから、 大学生はバストイレ付きのマンションに入居するようになり、 健診の高血圧に続く第2のターゲットの農夫症や貧血は内臓肥満や糖尿病へと転換しました。
昭和60年( 1985年 )、 大阪で研修医のころ、 アメリカ経済第一主義のプラザ合意により、 ますます円高が加速されます。 しかし、 このころから消費者物価指数の上昇はあまりなくなります。 そのかわり、 構造的不況の中の低金利のために、 土地の投機的売買がブームとなりました。 いわゆる財テクの始まりです。 株式などの証券取引もさかんになりました。 バブル経済の始まりです。 午後から暇な科の先生の中には、 テレビの株価情報にかぶりつきなる人もありました。 薬のプロパーさんによる勉強会と称した豪華な接待飲食会もよくありました。 また、 病院のエレベーター前の長いすで患者さんたちが退院時のお礼は何万円なのか話しているとの噂も聞きました。 この年には無担保コール市場が創設されます。 銀行どうしの無担保貸し借りです。 これはその後、 公定歩合に代る 「 金利の基点 」 になっていきます。 もっとも、 コール市場の金利を調節しているのは日銀の公開市場操作や預金準備率操作なのですが。
平成2年( 1990年 )、 高く買ったマンションの市場価格が下がり始めます。 バブル崩壊です。 1989年にベルリンの壁が崩壊し、 1991年にはソ連も崩壊し、 歴史の大変動が起きていることは認識していましたが、 自分の経済のことになると、 まだ、 高価な財テク商品やディスコがウヨウヨしており、 バブルがはじけつつあるという実感はありませんでした。