手軽な複写印刷術
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2012.03.24


: 転記する
       原稿を大量に転記するには「 印刷 」という手段をとります。 それをしてくれ
     る機械が「 印刷機 」です。「 印刷 」は、 版作成 と プリント からなります。 版
     作成とは、 ハンコを作ったり、 活字を並べたり( 植字 )、 パソコンに文字を入
     力したりすることなどです。

: 複写を作る
       原稿の複写を大量に作るには、「 複写印刷 」という手段をとります。 それをし
     てくれる機械が「 コピー機( 複写印刷機 )」です。「 複写印刷 」は、 複写的版
     作成 と プリント からなります。 複写的版作成は、 コピー機が登場した当初はア
     ナログ的な感光法でしたが、 現在ではデジタル的な電荷トナー法になっています。
      コピー機の登場で転記をしなくてもよくなり、 便利になりました。 風邪で授業をお
     休みしたときには、 友達のノートをちょっと借りてコピー機にかけるだけでよいので
     す。 パソコンにスキャナー付きプリンターを繋げるだけでコピー機ができます。

: 複製を作る


  平安時代から室町時代にかけて大量に転記されたものは、 お経です。 その手段は木版印刷でした。 それは、 江戸時代になってアートの分野にも応用され、 浮世絵が作られました。 木版印刷された絵画は、 元絵の転記でありながら、 原本としての性質も持っています。

  木版印刷から活版印刷に替わったのは、 明治になってからです。 そして、 大正時代からは地域社会でも印刷がさかんに行われるようになります、 それはガリ版印刷です。 ガリ版は謄写版とも言われ、 孔版印刷の仲間です。 ヤスリ板の上にロウ原紙を載せ、 鉄筆で傷を付け文字を書きます。 間違ったらロウソクを消しゴム代わりに使います。 印刷には黒インクとローラーを使います。 父は教員でしたので、 毎晩遅くまで蛍光灯の下でガリ版を切っていました。 私が大学の頃も、 ガリ版と輪転機( 印刷機 )で資料やパンフレットを作りました。 また、 サークル棟にはコピー機の前身である謄写原紙自動製版機が置かれるようになり、 途中からはガリ版切りの必要がなくなり、 さらに、 青色にコピーされる感光法の「 ジアゾ式複写印刷機 」も置かれました。 多分、 私が卒業するまでには、 医局にはトナー式のコピー機が置かれていたと思います。


  現代の木版画美術は昭和になって確立されます。 版画家の中で私が好きなのは、 青森県出身の棟方志功 と 愛媛県出身の畦地梅太郎 です。「 線の棟方 色の畦地 」と言われます。 職員旅行の時に大原美術館で出会ったのではないかと思うのですが、 彼の作品の「 釈迦十大弟子 」のビデオを見てから、 棟方志功が好きになりました。 一方、 畦地梅太郎は「 山の版画家 」と言われています。 私が中学生の夏休みに自転車で剣道の朝稽古に通った小学校の出身です。 昭和10 年頃に故郷の風景をたくさん描いていますが、 単純化された素朴な風景をみると、 私の祖父や祖母の生活が目に浮かびます。 その後、 山を描いたり、 山男を描いたりで、 それらには汚れのない力強さを感じます。 まるで彼自身のようです。 デフォルメされていますが、 実際に彼が目にしたものばかりであろうと思います。 というのも、 彼は画文集をたくさん残し、 また、「 わしのふるさと記 」など、 飾り気のない自分の言葉で、 昔の風景を広範囲にわたって手に取るように紹介しているからです。 山奥へも寝袋を持って一人で入っています。 また、 陸の交通の便のない辺鄙(へんぴ)なリアス式の半島の海岸端を訪れ、 イワシ漁と段畑での薩摩芋づくりによって、 厳しい自然と共に生きる人たちの純朴さに心打たれています。 画文集「 とぼとぼ六十年 」は、 私の故郷の人達に是非読んでもらいたい一冊です。