児島惟謙
その他と物理学 へ戻る
ばいおりんの日常的物理学文集 へ戻る
2014.12.10


  長さの等しい棒をたくさん蝶番(ちょうつがい)で繋いで輪を作ります。 N本の棒で作られた輪の面積が最大限になるように広げると、 それは正N角形になります。 逆に面積が最小限になるように折りたたんでいくと、 棒の数が偶数のときは面積は0になり、 棒の数が奇数のときは一辺が棒の長さの正三角形になります。 したがって、 N本の長さの等しい棒を繋げてできる輪の中で最も崩れにくいのは、 3本の棒で作られる正三角形であることがわかります。 これは家屋や橋などの構造形式に利用されており、 トラス構造 と言われています。


  ペリーが浦賀に来航したのが1853年。 そのころ農奴制を基盤とする農業国であったロシア帝国はクリミア戦争を始めましたが、 その敗戦の反省から、 工業や交通機関の発達に力を入れるようになりました。 そしてその結果、 計画案が出されてから50年後の1904年( 明治37年 )、 日露戦争の最中に、 シベリア鉄道が全線開通しました。 時は前後しますが、 1891年( 明治24年 )、 シベリア鉄道の極東地区起工式典に出席するため、 ロシアの皇太子( 後の、 ロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世 )が来日しました。 国を挙げてのおもてなしの最中、 大津市にて警備にあたっていた警察部巡査がロシアの皇太子を刀で切りつけるという事件が起こりました。 幸いにも傷はそう深くはなかったそうです。 このとき大審院( 今でいう最高裁判所 )の院長をしていた児島惟謙は、 政府の圧力に屈することなく、 皇室への大逆罪による死刑ではなく、 計画的殺人未遂罪による無期懲役の判決を下し、 日本帝国憲法による三権分立の精神を貫き、 それが意外にも外国から高い評価を得て、 日本の政治は一目置かれるようになりました。 その後、 1915年( 大正4年 )の第1次世界大戦をきっかけに、 1917年にロシア革命( 2月革命 と 11月革命 )が起こり、 皇帝ニコライ二世は妻子とともにシベリア西部に流された後に暗殺されました。


  品という字は3つの口で出来ています。 品の価値を決める「 品定め 」には、 3人の評価が効率的であり信憑性が高いということでしょうか。 司法、 立法、 行政の三権分立は、 独裁政権を許さず安定した国民主体の政治をするための基本的政治構造です。 日本においてその基礎を創った児島惟謙の実の母親の実家は、 私の実家のすぐそばにあります。