アインシュタインのさらなる挑戦 一般相対性理論
ばいおりんのその他の相対論関連論文集 に戻る
ホームページのトップ へ戻る
2011.09.14


  観察者が観察する物質のその観察者に対する速度は、 その物質に所属しているのではなくて、 観察者に所属しています。 つまり、 その速度は、 当事者的な主観的観察によるものです。 これは、 相対論的観察であり、 間違いのニュートン力学的観察 ( 第3者的な客観的観察 ) とは違い、 真実です。 ニュートン力学的観察では光速は普遍ではありませんが、 相対論的観察においては光の速さは普遍です。

          「 A君の観察による、 移動しているC君の移動しているBさんに対する
          速度 」は、 第3者的な客観的観察による速度です。

  ここまでの結論は、 重力のない世界で考える特殊相対性理論によるものです。 では、 重力場の中での、 相対論的観察における光の速さは普遍なのでしょうか? アインシュタインは、 重力場の中でも光の速さは普遍であることを貫きました。 彼が最初に行ったのは、 綱が切れたエレベーターの中で光の伝達に関する思考実験です。 彼は、 無重力空間のイメージを提供することによって、 人々に重力場を意識化させることに成功しました。 そして、「 野球のピッチャーが投げるストレートは、 本当は落下しながら水平移動しているのだ。 これと同様に、 太陽の光も落下しながら私たちの目に届いているのだ。」とオリエンテーションしたのです。 彼は、 特殊相対性理論では、 最初、「 移動のある風景 から 移動のない風景 への変換 」という方向に考察をしていきます。 そして、「 光の速度は、 主観的に移動していない風景の中にいるすべての観察者にとっては、 普遍の大きさである。」ということを発見します。 そして、 後半は「 移動のない風景 」という主観的なものが、 客観的に見られるどうなるのか? 結局、「 移動のない風景 から 移動のある風景 への変換 」の方向へと折り返していきます。 それは、 物理学の原則である客観性を求める当然の考察方法だと思います。 しかし、 電磁波の伝達や物質の移動については客観性を否定する相対性理論です。 それを客観的に受け入れようとしても、 迷路へと入り込んでいくだけでした。 特殊相対性理論は、「 移動のある風景 から 移動のない風景 への変換 」によって得られる「 移動のない風景 」を「 相対性観察原理 」としてそのままに受け入れなさいという理論であるにも関わらず、 アインシュタインは客観性を求めて特殊相対性理論に対して戦を挑んだのです。 ニュートン力学の範疇を超えた理論をもう一度ニュートン力学の範疇に収めようとしても、 無理があります。 私は、 特殊相対性理論は彼の理論であるという側面よりも、 特殊相対性理論は、 電磁波の伝達様式や物質の移動様式に対するアインシュタイン当時の哲学の挑戦の記録であるという側面を強調すべきだと思います。 アインシュタインは、 一般相対性理論のときも、 最初は「 重力のある風景 から 重力のない風景 への変換 」という方向で考察を進めていきます。 それが、 綱の切れたエレベーターの思考実験です。 そして、 後半は「 重力のない風景 から 重力のある風景 への変換 」という客観性を求める方向で考察を進めます。 彼は、 一般相対性理論についても、 まずはニュートン力学的観察から入っていきました。 もちろんその手法は間違っていません。 英語しかわからない外国の方に、 いきなり日本語で説明するようなことはありませんものね。 するとその結論は、 重力場の中では、 光も他の物質と同様に重力の影響を受けて加速度運動をしており、 光速は普遍ではないということになります。 この結論はニュートン力学的観察によるものなので、 間違っていて当たり前だと思います。 そこで、 これを相対論的観察に置き換えてみましょう。 きっと真実が見えてくるはずです。 当事者的な主観的観察では、 エレベーターの中の観察者は自由落下しているのではなく、 無重力空間で静止しているのです。 したがって、 その結論は、 特殊相対性理論が導いた、 光速普遍になります。 辻褄が合っています。 そこで、「 重力場の中では、 光の質量は0なので、 光は重力の影響を受けない。」と結論づければ、 簡単だったのです。 現在、 レーザー光を反射させて、 天体までの距離が測量されていますが、 レーザー光は重力の影響を受けないとの仮定の上に行われています。

  私ならば、「 ニュートン力学的観察は間違いだから。」と言い切って考えるのをやめてしまうのですが、 特殊相対性理論の時と同様、 アインシュタインは、「 第3者的な客観的観察 」でも辻褄の合う理論を構築しようと試みました。 また、 星の光が曲がって私たちに届いていることが発見されましたが、 彼は、 それをガスによる屈折によるものではないとして、「 光速は普遍であり、 重力場は時空間を曲げる。」とする一般相対性理論を作り上げました。


  無風の雨の日に、 電車が駅を出発し平坦なレールの上を等加速度的にスピードアップしていくと、 雨のフロントガラスに当たる角度は、 次第に大きくなっていきます。 また、 電車が等加速度運動を続けている限り、 電車の天上からつり下げられた重りは、 後方に取り残されるように一定の角度を持って静止します。 ( もし、 紐のついたヘリウムガス風船が電車の天上にへばりついているならば、 その紐も重りと同じ角度持って静止し、 その紐を引っ張って風船を天上から引き離したとしても、 紐の角度は変化しません。) 雨のフロントガラスに当たる角度が次第に大きくなっていくのは、 雨の電車の進行方向と逆向きの相対的速度が増えていくためです。 一方、 重りが一定の角度で斜めに傾くのは、 電者の進行方向と逆向きに一定の慣性力 ( 私は、 慣性力のことを 相対的変速度力 と言っています。) が働くからです。 雨が斜めになるのは相対的な速度のせいであり、 重りが斜めになるのは相対的な加速度のせいであり、 これらは違った現象です。 特に、 重りが斜めになることは、 一様な重力場が形成されることにもなり、 一般相対性理論を考える上で大切な現象です。 電車の中の空間は、 遠直方向も水平線も斜めになっているのです。 ということは、 等加速度運動をしてスピードを上げている電車の中の人は、 ある程度その人の立場になって考えると、 電車と一緒に斜め上に向かって次第に速度を上げながら、 登り坂になっているレールの上をエスカレートしています。 ということは、 飛行機の加速度的離陸も、 乗客からすれば坂道発進をしていることになります。 平坦なレールの上で加速的変速度運動をしている電車の中の乗客の立場に立って相対論的な観察にするならば、 乗客は、 重力 ( 地球による万有引力 と 相対的変速度力 とが合成されたもの ) と 電車からの抗力 と 電車からの摩擦力 とがつり合って斜め上を向いて静止しており、 レールが敷かれた上り坂は、 その下り方向へと等加速度的に移動しています。


  相対性理論の座標変換は、「 第3者的な主観的観察 」から「 当事者的な客観的観察 」への翻訳であり、 翻訳の目的は、 真実の観察結果を得るためです。 翻訳の前後での比較への執着を捨て、 翻訳後の世界での比較を行えば、 本当の相対性理論の世界が見えてきます。 それは、 光の速さの普遍性 と 4次元時空間における物質の移動様式 と 質量やエネルギーの本質 と 重力や加速度の本質です。

  一般相対性理論においても、 特殊相対性理論のときと同様に、 翻訳の前後での比較へ専念していると、 重力によって時間が遅れたり、 重力によって空間が曲がったりしてきます。 というのも、 それはアインシュタインによって、「 第3者的な客観的観察 ( ニュートン力学的観察)」でも真実が見えるようにと、 人為的に作られた数学的手段なのですから。 これは、「 数としての虚数 」が「 手段としての数学 」の世界では真実ですが、「 物理量としての虚数時間 」が「 実在の観察としての物理学 」の世界では真実ではないようなものです。 それにしても、 アインシュタインが特殊および一般相対性理論によって解明した「 物質の4次元時空間移動様式 」と「 質量、 重力、 および エネルギー の本質 」の功績は、 20世紀物理学の中では最大のものだと、 私は思います。