江戸時代の改鋳
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2018.03.16


  江戸時代の小判は金と銀の合金です。 江戸時代は、 金の交換価値は銀のおよそ6倍でした。 江戸時代に入ってすぐに作られた小判を慶長小判と言います。 これは、 質量 17.8 g 、 体積 1.04 cm3、 金含有率 86 % でした。

  五代将軍徳川綱吉の頃には幕府は深刻な財政赤字を抱えていました。 そこで、 その打開策として、 1695年、 幕府は改鋳を行いました。 元禄の改鋳です。 改鋳とは、 流通している貨幣を回収して新しい貨幣を市場に流通させることです。 このときの新しい小判、 元禄小判は、 質量 17.9 g 、 体積 1.26 cm3、 金含有率 57 % であり、 慶長小判に比べその交換価値はおよそ 3分の2 でした。 それを幕府の権力でもって同じ交換価値のものとして市場に流通している慶長小判と交換したのですから、 幕府は大儲けしたことになります。 この時の勘定奉行は荻原重秀でした。 彼は 「 幕府の信用さえあれば貨幣は瓦でも石でもいい。」 との斬新な考え方を持っていたそうです。 しかし、 市場は生き物です。 元禄小判は次第に本来の交換価値に近づきます。 そのために、 インフレ ( 物価が高くなっていくこと ) になりました。 インフレになると、 投機目的も含め、 商品の価格が上がる前に購入しようとみんながするので、 商品や貨幣の流通量が上昇して景気が良くなります。

  現在では インフレ・好況 は 赤字国債発行 ( 財政難の増大と解決の先送り ) とその日銀引き受けによる流通貨幣量の増大 によって引き起こされるので、 財政難の根本的解決 と インフレ とは対極にありますが、 元禄の改鋳は、 財政難の根本的解決 と インフレ・好況 を同時に達成しました。

  それから約20年後、 新井白石によって再び改鋳が行われ、 享保小判慶長小判とほぼ同じ金の含有率になりました。 彼は、 自由経済によって民間が力をつけることを恐れていたのだと思います。 「 とりあえず交換価値の小さな貨幣へ改鋳して財政難を乗り越えようというのは浅はかだ。 まず、 無駄遣いをなくして節約をしなければならない。」 というのが彼の考えでした。

  その後また20年程してから、 八代将軍徳川吉宗によって、 1736年、 元文の改鋳が行われ、 再び金含有率が 56 % まで下げられました。 元文小判はこれまでの小判よりも小さくて、 質量 13.1 g 、 体積 0.87 cm3 です。 このときも インフレ・好景気 になっています。 その後の江戸時代の小判の金含有率は、 元文小判とあまり変わりはありません。

* 金の比重 : 19.32   銀の比重 : 10.5_____