現在よく流行する腸炎はノロウィルスによる感染性ウィルス性腸炎であるが、 大正時代までよく流行したのはコレラであった。 コレラとは、 コレラ菌による感染性細菌性腸炎で、 井戸水&汲み取り式トイレ環境下にては伝染力が非常に高く、 低栄養状態の人は敗血症や脱水によって死に至る疾患である。 江戸時代には「 3日ころり 」と恐れられた。
コレラは、 元々は、 ガンジス川下流のインドのベンガル地方からバングラデシュにかけての風土病であった。 1817年に初回の世界的パンデミックが起こったが、 その背景には、 イギリスにおける三角貿易があった。 三角貿易とは、 交換手段としての貨幣( 銀 )を省略して言えば、 イギリスが木綿を作ってインドに持って行って強制的に作らせたアヘンと交換し、 アヘンを中国に持って行って茶と交換し、 茶を自国に持ち帰るという貿易である。 その後、 中国ではアヘン中毒者が増加し、 アヘン密輸による輸入超過となり銀の国外流出に見舞われて1840年アヘン戦争を起こすも、 イギリスに一方的に牛耳られてしまう。
麻薬1. アヘン、 モルヒネ、 ヘロイン
けし
アヘン
モルヒネ
ヘロイン2. コカイン
コカ葉
コカイン3. 合成麻薬 : 覚せい作用 や 脳細胞破壊作用 が強い
LSD : ライ麦に寄生する麦角菌
麦角アルカロイド
LSD脳内セロトニン拮抗作用
MDMA : 脳内セロトニン分泌促進作用 通称「エクスタシー」
大麻( マリファナ )
覚せい剤1. メタンフェタミン
麻黄
エフェドリン
メタンフェタミン( 通称「 ヒロポン 」)2. アンフェタミン
石油
フェニルアセトン
アンフェタミン
トルエン / キシレン( シンナー )など注意!! これらの薬物には絶対に手を出してはいけません。
覚せい作用の強い薬物は幻覚作用を引き起こして、特に危険です。
1853年、 ぺリー率いる黒船が来航し、 日本に開国をせまってきた。 その当時、 日本の知識人たちは、 神代の昔から鎖国になっているとの教育を受けていたそうだが、 井の中の蛙であった彼らは現実を知り、「 外国は産業が発達し、 身分に縛られることなく国民が自由に能力を発揮しながら生きているようだ。 鎖国に初めがあるのなら、 鎖国に終わりがあってもいいはずだ。 そうして、 早急に外国に学んで追いつかなければならない。 まごまごしてたら外国の植民地になってしまう。」というふうに考えたのだろう。 1886年、 日本は明治維新を迎え富国強兵へと向かった。
コレラは明治維新後もたびたび流行した。 コレラと同じような感染性細菌性腸炎を起こす赤痢菌が発見されたのは、 コッホの弟子の北里柴三郎の弟子の志賀潔によってであり、 それも明治30年であるので、 当時コレラに対する治療法はなく、 もっぱら火事の延焼防止のような政策的疫病対策に頼るしかなく、 長屋全面封鎖などにあたるのが警察の仕事であった。 明治17年、「 鬼が島 」と言われ炭鉱の強制労働が行われていた長崎県の高島でコレラが流行ったときには、 3000人の鉱夫のうちの半数が死亡しており、 まだ生きているうちに鉄板で焼き殺されたという話も残っている。
明治14年、 日本に約500の病院があったそうだが、 そのうち130の病院が梅毒専門病院だったそうだ。 梅毒は、 梅毒スピロヘーターという細菌に近い微生物が性交感染をし、 鼻軟骨炎を起こして鼻を落とし、 皮膚に腫瘤を形成し、 最後は精神障害を起こしてくる疾患である。 梅毒は元々アメリカ大陸の風土病であったとの説が有力で、 ヨーロッパ経由で日本に入ってきたのは、 戦国時代とのこと。 明治時代も、 身売りされてきた少女は、 遊郭で「 籠の鳥 」にならされていた。 女性差別や人権蹂躙が公然と行われていたのだ。
明治27年、 日清戦争に勝利すると、 賠償金で八幡製鉄所が作られ、 明治30年からは、
の金本位制が確立した。 さらに、 明治37年の日露戦争では、 重化学工業や製糸業が急速に発展した。 日露戦争では、 約5万人の兵士が外傷死し、 約3万人の兵士が病死している。 軍人の約3分の1が脚気であったそうであり、 脚気が病死の原因の主たるものであったそうだ。 脚気はビタミンB1不足による末梢神経障害と心筋障害であり、 ひどいと心不全になって死ぬ。 兵隊の給食が副食の少ない米ばかりだったためで、 原因が解って麦を混ぜたら減少したそうだ。 日露戦争の軍備の8割は外国へ国債を売って得た金であり、 つまり、 外国に借金をして工面した金であり、 戦後に通貨量増大によるインフレーションが起こっている。明治の末期、 公衆衛生学者の石原修が政府から調査を依頼され、 製糸工場の女工退職者4万人を調べたところ、 5千人が帰郷してから死亡しており、 その7割が結核によるものであった。 また、 2万5千人が結核に罹患して床に伏していた。 結核は、 感染性の高い結核菌が、 肺や脊椎を壊死させ腐らせていく疾患である。 女工の劣悪な労働衛生ぶりは、 細井和喜蔵著の「 女工哀史 」や、 22歳の大竹しのぶが主演した映画「 ああ野麦峠 」で知ることができる。 寄宿舎の共同部屋での集団生活で、 粗末な給食しか与えられず、 2交代制の12時間勤務で早食いの食事時間以外に休憩時間はなく、 厳しい品質チェックと生産スピードチェックが行われていた。 江戸時代は、 桑を育て蚕を育てる農民が「 手ぐり器 」という機械を使って自宅で絹糸を紡いでいた。 その後「 座ぐり器 」という機械ができ、 左右両手で同時に紡ぐことができるようになり、 また、 明治5年には、 群馬県に官営の富岡製糸場という模範工場が立てられ、 その後各地に、 寄宿舎制度といういわば住み込み型工場が作られていき、 次第に生産性が上昇していった。 ヨーロッパ製の繰糸機も導入されて、 明治42年には絹糸の生産高は世界1位となった。
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