唯識論的な光の振舞
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2019.03.06


  心の外に物は無くただ心だけが存在します。 たとえば、 一本の木があり三人がその木を見ています。 このとき、 木は一本ではなくて三本あるのです。 なぜなら、 一人ひとりにとっての木は、 それぞれの人の心の中に生じた影像であるからです。 心の外にあると思われる木は、 言葉によって作られ私たちが執着する幻のものなのです。 他人の世界と自分の世界とは存在的にまったく別々のものです。 私たちは「 一人一宇宙 」に閉じ込められているのです。

  これは、 唯識論( 唯心論 )者の横山紘一さんの言葉です。 物理学はそれとは反対の唯物論を拠りどころとしています。 しかし、 光の伝播に関しては、 どうも唯識論的な見方のほうが正しそうなのです。 唯物論者のアインシュタインは、 唯識論的な振舞いをする光の伝播の方式を、 万物の移動についても当てはめて唯物論的に解釈しようとしました。 そして特殊相対性理論を創造しました。 しかし、 そこには無理があったのです。

  あなたが持っている折り紙と私が持っている折り紙の一部を重ねて、 重なった部分は二人に共通の部分だと考える。 そういった考え方は一般的ですが、 光の伝播には通じません。 特殊相対性理論では物質の移動についても光と同じような法則に従うと考えますので、 速度の合成は、 光の速さを 1 とする単位系で表すと、 ではなく で表されます。 これは、 二人に共通の部分である「 物質の移動 」をわざわざ非共通な部分に置き換えているからなのです。

  観察者はそれぞれに固有の時空間座標系を持っています。 考えやすくするため、 空間を一次元とし、 二次元時空間座標系であるとしましょう。 観察者A と 観察者B と 被観察物質C はそれぞれに異なる速度で等速直線運動をしています。 2人の観察者は同時に物質Cの観察を開始します。 相対性理論でも「 2人の観察が続いている間、 物質Cの時空間移動の軌跡の部分では2人の時空間座標系は重なっており、 座標変換という手法で物質Cの時空間の移動の観察のされ方の違いを比較することができる。」と考えます。 しかしそれは間違いです。 2人の時空間座標系が重なっているのは、 観察者Aにとっては観察の開始時点での観察者Bの存在する空点のみであり、 観察者Bにとっては観察の開始時点での観察者Aの存在する空点のみであります。 したがって、 観察開始の瞬間のみのお互いの観察者の空間移動速度についてだけは、 座標変換の結果をそのまま受け取っていいということになり、 それ以外のものの座標変換は幻のものになります。

  相対性理論では、 ミンコフスキーの時空間座標系を用いたローレンツ変換の図がしばしば示されます。 それは観察開始時点に観察者と被観察物質が同じ場所に存在するという条件下での、 被観察物質の時空間移動の軌跡を2つの座標系で表しています。 しかし、 物質Cの時空間移動の軌跡は2人の観察者にとって共通する時空間座標系の部分にはなっていないのです。 と言うと、 ミンコフスキーの時空間座標系に精通している人は、「 斜交座標系と直交座標系の違いはあれ、 きちんと重なっているのです。」と反論されると思います。 でも、 ミンコフスキーの時空間座標系は直交座標系の観察者の座標系のみを表すものであって、 斜交座標系は便宜的なものでしかありません。 なぜなら、 どんな観察者も自分の持っている時空間座標系は直交座標系なのですから。

  共通する時空間座標系の部分であれば座標変換は真実の比較を与えますが、 そうでないなら座標変換は幻の比較しか与えません。 2人の観察者に共通する時空間座標系の部分にないものをそれぞれの時空間座標系で観察したものは、 比べようがないのです。