歌謡曲におけるマイクの変遷
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2013.12.25
あれは 1967年( 昭和42年 )頃でしょうか、 私が小学生のころです。 日曜の夜のバラエティーTV番組「 シャボン玉ホリデー 」の中、 歌を唄う布施明の後ろで踊っていたのが、 ザ・シャンパーズです。 その中に 「 どいのくのはじめちゃん 」 という人がいて、 彼の踊っている姿が映るたびに、 テレビの前に釘づけになっている家族に対して、「 はじめちゃんが出とる。 どいのくのはじめちゃんが出とる。」と はしゃぐのが母の癖でした。「 どいのく 」とは、 小説「 てんやわんや 」の町の中にある「 土居の奥 」という地名のことです。 シャボン玉ホリデーの懐かしい動画を YouTube で見てもマイクは映っていません。 もちろん、 その当時はピンマイクなどありませんので、 多分スタジオの吊り下げマイクか棹マイクかで録音したものと思います。
橋幸夫と吉永小百合の「 いつでも夢を 」が日本レコード大賞になった 1968年、 スタンドマイクが圧倒的主流であった時期に、 日本レコード大賞授与式の中で、 コード付きハンドマイクで「 君恋し 」を歌うフランク永井の映像が残っています。 1972年( 昭和47年 )の日本レコード大賞授与式では、 レコード大賞をとった ちあきなおみが「 喝采 」をスタンドマイクで歌い、 新人賞の麻丘めぐみが「 芽生え 」をコード付きハンドマイクで歌いました。 1974年のことだったそうですが、 西城秀樹がスタンドマイクを使った派手な振り付けで歌っていたことは記憶に新しいところです。
1977年( 昭和52年 )頃、 アントニオ猪木が、 柔道家やボクサーなどとリング上で格闘技世界一決定戦を行っていたころ、 ミニスカートをはいて、 腰を振りながらコード付きハンドマイクを高く掲げてグルグル回したり、 股を開いてガニ股になったり、 白鳥が羽ばたくような真似をしたりと、 世間をアッと言わせて一大ブームを起こしたのが、 ピンクレディーです。 その振付けをされた土居甫さんが「 どいのくのはじめちゃん 」だったのです。
1980年( 昭和55年 )、 山口百恵が「 さよならの向う側 」を歌った後にステージの中央に置いた白いマイクにはコードが付いていました。 同じ年の紅白歌合戦に「 青い珊瑚礁 」で初出場した松田聖子が握っていたのもコード付きハンドマイクでしたが、 司会の黒柳徹子が握っていたのはワイヤレスマイクです。 1985年の紅白に「 愛人 」で初出場したテレサテンが握っていたのもコード付きハンドマイクでしたが、 その翌年の紅白では、 石川さゆりがワイヤレスマイクで「 天城越え 」を歌っています。