古代インドの宇宙観では、 世界の中心に「 須弥山 」という高い山があり、 その中腹を太陽や月が回っています。「 この山の頂上から誰かに突き落とされても、 観音様のお力を思い浮かべておすがりすれば( 念彼観音力 )、 お日様やお月様が持っている 重力を逃れる能力 を与えられ、 空中にプカプカと浮くことができます。」と説いているのが、 観音経( 偈文 )です。 これは比喩です。 高い山の山頂に到達するまでには、 私たちは自分勝手な行いをして、 知らず知らずのうちにたくさんの人に迷惑をかけているものです。 また、 これが度を過ぎたり故意的になったりした場合には、 あとから他人に突き落とされるようなハメになってしまうことだってあります。 それは自業自得です。 しかし、 そんなときでもそれに気づいてきちんと懺悔すれば、 苦しみから救われるのだということであろうと思います。 このお経の中には、 いろんな災難が登場します。 災難とは、 自分の外に原因があって、 たまたまそれに出くわした者が被る被害のことなのですが、 ここに登場するさまざまな災難は比喩であり、 それは私たちの心の中に存在する、 歪んだものの見方考え方のことなのだと思います。「 私たちが、 自分の心の真髄にある 正しいものの見方考え方 や 自分自身を救ってくれる力 に気づかないのは、 歪んだものの見方考え方 のせいであり、 その原因はエゴや外の物への執着にあるのだから、 あせらずにこれらを取り除いていく努力を続けていけば、 いずれは霧が晴れて目的の山が見えてくるようになりますよ。」というのが仏教の教えではないでしょうか。
さて、 観音経( 偈文 )の正式名称は、 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五( 偈文 )と言います。 このお経は、 5つの漢字で構成される言葉が4つ集まって一行となっています。 このお経が、 人から人へ、 国から国へ、 そして世代から世代へと伝わっているうちに、 遺伝子組み換えが起こるように、 順番の組み換えが起こった可能性があります。 それも何カ所かで。 そう思えるところは次の4つです。
9行目の「 咸即起慈心 」と 10行目の「 刀尋段段壊 」の入れ換わり
12行目「 呪詛諸毒薬 」の行と 13行目「 或遇悪羅刹 」の行との入れ換わり
23行目「 諍訟経官処 」の行は 15行目「 元蛇及蝮蠍 」の後にあった。
20行目「 眞観清浄観 」の行は 24行目「 妙音観世音 」の前にあった。なお、 詳しく調査したわけではありませんので、 私の仮説は間違っているかもしれません。
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