瞑 想
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2022.03.12_____
私が中学生のときの男子剣道部では、練習の閉めに1分間程度の瞑想がありました。結跏趺坐して目を閉じたら、キャプテンが「 瞑想初め! ・・・・・ 瞑想終わり!」と声をかけます。それは皆んな多分、そばで練習している女子卓球部員たちの姿を想像する迷想だっただろうと思います。
目でもって光を見ることによって、光を感じる。
耳でもって音を聞くことによって、音を感じる。
鼻でもって匂いをかぐことによって、匂いを感じる。
舌でもって味を味わうことによって、味を感じる。
皮膚でもって物体に触れることによって、物体を感じる。
脳でもって言葉で綴られる概念を考えることによって、概念を感じる。
私たちは、このように感じたものでもって、幻の独自の世界を作り上げながら、そして物体に働きかけながら、生きています。私たちは外からの刺激を感じたとき、必ずといって自我執着心による「好き嫌いの分別」や「はからい」を起こします。よって、幻を迷想で上塗りしたものを現実の世界であると思って生きているのです。まずは、この「好き嫌いの分別」や「はからい」が生じないようにする訓練が、禅 であり マインドフルネス であり ヨガ なのであろうと思います。「好き嫌いの分別」や「はからい」の迷想を、仏教用語では 虚論 とか 遍計所執性 とか言うそうです。