もずが枯木で
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2022.11.11_____

 1935年(昭和10年)に発表されたサトウハチローの詩「百舌よ泣くな」。昭和13年、徳富繁がこの詩に曲を付け、戦後になって全国で歌われるようになった。その理由も分かる。

 そして、昭和31年これが改変され、「百舌よ寒くも泣くでねえ (あん)さはもっと寒いだろう」が「もずよ寒いと鳴くがよい 兄さはもっと寒いだろう」となった。題名も「もずが枯木で」。そして、岡林信康、倍賞千恵子、トワ・エ・モワ、石原裕次郎、芹洋子、ボニー・ジャックス、藤圭子 など多数のアーティストによって歌われた。

 それは 戦時抒情歌 から 反戦歌 への変身であったと言われる。「満州の兵隊さんたちはがんばっているんだから我々も辛抱せねばならんぞ」から「家族を戦争に取られたつらい思いを露わにすることはできないが、私のこのつらい思いをそしてさらにつらい思いをしている兄の気持ちを、出どこが私だと分からぬように世間へと発信したい」へと見事に変身したのである。

 でも、「泣くでねえ」から「鳴くがよい」への変換 は、そこに潜んでいる国民の心の変化ではないと私は思う。なぜなら、原曲にも「鉄砲が涙で光っただ」という歌詞があるのだ。よくもこの頃、放送禁止以上の政府の圧力がかからなかったものだ。私はむしろ原曲のほうに反戦感情を強く感じてしまう。原曲で歌うと涙がこぼれるからだ。昭和30年頃は「そのやりきれなさを、一人で解消せず、みんなで力合せて作る新たな社会の原動力に!」といった時代だったのではないだろうか。でもそのスローガンに、私は後ずさりしてしまう。私が生まれた頃のことである。