明徳と仏心の融合
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2014.10.14
1617年、 徳川幕府の命令により、 米子藩は廃藩になり、 藩主の加藤貞泰は愛媛県の西側に位置する喜多郡大津藩の藩主に任命されます。 貞泰は家来として10歳の少年を連れてきました。 彼は学問に秀でており、 同年代の藩の人たちの教育にもあたります。 彼は27歳のとき、 故郷の母親の孝行をしたいと辞職を申し出ましたが、 認められずに脱藩しました。 その後、 彼は朱子学から陽明学へと「 学問的進化 」をし、 私塾を開いて「 近江聖人 」と地元の人々から従われました。
彼の名は「 中江藤樹 」。 日本の陽明学の祖と言われる人です。 陽明学とは、 中国の明代に、 王陽明がおこした儒教( 孔子が起こし孟子などが継承発展させた学問 )の一派です。 陽明学という呼び名は明治時代以降のもので、 それ以前は王学と言われていました。 彼は、「 礼 」という形式よりも、 正直な心を重んじました。 彼は、 学問によって、「 仏心 」に相当する「 仁心 」を明らめて「 仁愛 」を発揮することの必要性を説いています。 それは、 身分に捕らわれない平等な人間関係に通じます。 彼の考え方は、 陽明学では一般に「 明徳を明らかにする 」と言われます。 また、 彼は、 我身は元祖のヒトに由来し、 元祖のヒトは自然に由来し、 その自然の根本原理は「 考 」であるという世界観を解いています。
徳川幕府が推奨したのは朱子学です。 朱子学とは、 南宋の朱熹が起こした儒教の新しい学問体系です。 日本には南北朝・室町時代に入ってきたそうです。 朱子学は、 大義名分を重んじます。 大義名分とは、 君主に従う民が守るべき道理のことです。 これは身分制度を肯定する思想です。 特に、 松平定信の1790年ころから、 徳川幕府は朱子学の教育に力を入れるようになったそうです。 朱子学の根本思想は次のようなものです。
物質の根本的構成要素は「 気 」であり、 物質の根本的運動原理は「 理 」である。 気は常に運動していて、 運動量の大きい陽の気と、 運動量の小さい陰の気があり、 この2つの気は木火土金水の五行を形成し、 五行が組み合わさって万物が生み出される。 そして、 万物の運動は理が司っている。 人は自然と一体のものであるから、 人も理によって動かされている。 人の心に宿っている理が作用していない状態を「 性 」という。 理が作用すると 「 情 」 になり、 「 情 」 の動きが激しくなると 「 欲 」 になる。 「 欲 」 までいってしまわないためには、 たえず 「 情 」 の動きに抗する努力が必要である。 また、 万物の「 理 」を極める努力も怠ってはならない。 天地陰陽の自然と同様、 人間関係も二極分化した主従関係の上に成り立っている。
幕末の尊王攘夷運動から討幕維新運動を支えたのは、 身分制度に縛られないとする陽明学でした。 吉田松陰、 高杉晋作、 西郷隆盛、 佐久間象山らは、 陽明学の影響を受けていると言われています。
さて、 話を大津藩の加藤家に戻しましょう。 二代目藩主加藤泰興の頃には、 大津の「 津 」は「 洲 」に改変されていたようです。 彼は晩年、 お気に入りの臨済宗の盤珪和尚を招きます。 そして、 1670年に富士山( とみすやま )の麓に如法寺を建てます。 今ではめったに積雪することはありませんが、 当時は深い雪に閉ざされることが多かったそうです。 盤珪和尚は「 不生仏心 」の禅を根本思想としました。 禅とは、 ゴータマ・シッダールタが35歳のときに到達したという「 瞑想によって獲得された心の安定状態 」つまり「 悟りの境地 」、 または、 それを求める行為です。「 不生仏心 」とは何かを説明するために、 次のような逸話が残っています。
怒った自分を「 自分が短気なのは生まれつきです。」と自己弁護した修行層に対して、 盤珪和尚は「 生まれつき持っているというなら、 今すぐここにその短気を出してみろ。 出せまい。 我身贔屓なお前さんの心が今作った怒りを、 親のせいにするとは何事じゃ! 」と一喝した上で、「 親が生みつけてくれたものは、 仏心一つでござる。 その仏心は、 まこと不生にして、 霊明なるもので、 これのみにて人間一切が調いまする。」と、 諭しました。「 不生 」とは 「 空 」を意味します。
盤珪和尚は中国の四書の一つである「 大学 」を読んで「 大学の道は、 明徳を明らかにするにあり。」という言葉に納得がいかずに出家したそうです。 それから苦行禅を続けますが、26歳のときにそのせいで死に至りそうになったときに、 突然「 自分が追い求めていたのは『 不生 』であったんだ。」と悟ったということです。 彼は35歳から50歳の間、 如法寺の住職を務め、 その後も各地で多くの僧の教育にあたり、72歳で逝去しました。
今は無きが故に 今を重んじ
我は無きが故に 我を重んじて
八方に及べども跡を残さぬ 波の如くに
By Bioring
全ては無常なのだから、 過去や未来に執着せず一期一会の志を持ち、
我は無いのであるから、過去や未来の自分に執着せず
今を生かしていただくすべてのものに感謝して、
周囲に影響を与えながらも痕跡を残さない波のような生き方をしたいものである。