金沢の辰巳用水
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2011.11.08
点滴台に補液ボトルを吊り下げたら、 輸液チューブを差し込んで、 空気が入らぬように気をつけながらチューブの中を補液で満たしていきます。 液がチューブの先端まで来たら素早くチューブの先端を補液ボトルの高さまで持ち上げて、 液がこぼれないようにします。 これは、「 逆サイホンの原理 」です。 小学校の時に、 机の上の水槽の中の水を、 つい立を超えて机の下の水槽に移すという、 実験をした記憶があります。 これは「 サイホンの原理 」です。 管が Uの字 か 逆Uの字 かの違いです。 その頃は、 よく「 船流し 」をして遊びました。 土手の袖のコンクリートでできた小さな用水路に、 数人で拾ってきた木片や板片を浮かべ2百メートルほど流して競争させるのです。 水路の側壁の上を綱渡りのように歩きながら、 船が側壁に引っかかった時にだけ木の枝でつっついて救出します。 ハヤ や メダカ や ドジョウ や アメンボ がたくさんいました。
籠城攻めにも備えてか、 お城にはたくさんの井戸が掘られています。 しかし、 いい水が豊富に出るとは限りません。 金沢城では、 江戸時代の初期に、 藩主の政治力と板屋兵四郎というすぐれた測量技術者によって、 部分的地下水路を含む全長約10kmの、 城内に水を導く水路が、 1年以内という異例の短期工事で作られました。 3. 3km の「 導水トンネル 」に始まり、 いったん兼六園の霞ケ池に貯められた水は、「 導水管 」を通り、 霞ケ池よりも 10m下のお堀の下を経由して、 霞ケ池よりも 2m低い城内へと送られます。「 逆サイフォンの原理 」です。 導水管は最初は板枠を繋いだものでしたが、 途中から直方体の石に円柱の穴をあけたものを繋いだものにバージョンアップされています。 板屋兵四郎は、 なぜお堀の上に水道橋を築かずにこの地下水道にしたのか? それは、 幕府からの援助を受けていたので、 建設費用をなるべく削減しようとしたためだと思います。 また、 敵に毒を盛られたりすることのないように安全性を確保したのかもしれません。「 導水トンネル 」が短期間に仕上がったのは、 30m間隔で高低差を測量してそこから一斉に横穴を明け、 その先端からわずかに傾斜する竪穴( 導水路 )を掘って繋げていくという工法が取られたためです。 加賀 ・ 能登 ・ 越中 の農民や鉱山職が総動員され、 一日4回の食事を与えられ労役をこなしたそうです。