空海の哲学とカントの哲学
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2022.03.26_____
光が無ければ「闇」、空気や重力が無ければ「無重力宇宙空間」。たとえばこのように、言葉で表され分別されているものは全て幻である とするのが空海の哲学です。
自分の中の無限小と自分の外の無限大は、空間で繋がっていて、それが自分の中からも外からも自分に作用して自分の頭の中に幻想を作っているのです。その空間をあえて言葉にするなら「空という概念の空間( 虚空 )」です。これによって頭の中に作られる「言葉で構成され分別される幻想」は、因縁起生の幻想ですから、無我です、無常です、空です。これが自分が生かされている世界であり自分なのです。
自分の中と外を繋げている「虚空」は「実相」と言われます。「実相」とは大日如来の世界です。「実相」が自分に作る「言葉で構成され分別される幻想」は「諸法」と言われます。
空海の哲学はカントの哲学に似ています。時代的には逆ですので、カントの哲学は空海の哲学に似ていると言った方がいいのかもしれませんが、「実相」は「イデア( 理性 )」に相当します。そして、両者ともそれらが作り出す現象世界に人間が生きているとします。空海の哲学とカントの哲学との違いは、もちろん「実相」と「イデア」の違いなのですが、カントの哲学では自分の中にだけ「イデア」があるのに対して、空海の哲学では自分の中にも外にも「実相」があるところです。それは、カントの哲学が「創られた自然」として自然を捉えているのに対して、空海の哲学が「生きた自然」として自然を捉えているからだと思います。