科学的実在論
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2012.11.30


  自分の感覚や意識の外に存在することを、「 実在する 」と言います。 デカルトの言った「 我思う故に我あり 」は、「 自分の外界に存在する量や現象が実在する 」のかどうかを確かめることは出来ないが、 そのように考えている自分がいることだけは確かである、 という意味です。 ただし、 自分が生まれる前にも、 また死んだ後にも、 自分の外界の量や現象が実在するのですから、 そういう「 思考実験 」では確かめることは可能です。 したがって、「 外界の量や現象は実在する。」とするのが、「 唯物論的実在主義 」です。

  これに対して、「 論理実証主義 」は、 自分が経験できる量や現象のみが実在するとする哲学です。 論理実証主義では、 観測や実験や帰納的論理法によって実証することができて初めて、 その量や現象が実在するとします。 ですから、 唯物論的実在主義において実在しているものの方が、 論理実証主義において実在しているものの量よりも多くなっています。 一方、 唯物論的実在主義者が実在しないとする物でも、 実証することができた場合には、 論理実証主義にとっては、 それは実在するものになります。 たとえば、 極端な論理実証主義者のホーキング博士は、「 虚時間 」は「 思考実験 」で理論的に実証されますので、 実在するものと考えています。 もちろん、 これに反論している論理実証主義者もいます。 他に極端な論理実証主義者には、 19世紀後半に活躍したマッハがいます。 彼は、 世界を構成する物はエネルギーによって刺激される感覚であるとし、 分子は思考上の産物であるとしました。 実証できるものは我々の感覚だけであるとしたのです。 このように彼は極端な観念論者( 反唯物論者 )だったのです。

  一方、「 形而上学的唯物論者 」と言われる極端な唯物論的実在主義者にとっては、 速度は実在しない物理量であろうかと思います。 というのも、 速度は観察者と被観察物質との関係で決まるものであり、 そのもの独自では存在しないからです。 これに対して、「 弁証法的唯物論者 」と言われる唯物論的実在主義者は、 運動そのものが物質の存在様式であるとします。 ヘーゲルは「 弁証法的観念論者 」でしたが、「 全ての物質や量子は、 4次元時空間の中を、 絶えず光の速さで移動し続けているのです。」と主張する私も、 弁証法的観念論者なのでしょうか。 いやいや私は自分を弁証法的唯物論者だと思っています。 なぜなら、 精神は物質の働きから発生すると考えているからです。

  極端な論理実証主義者の場合はともかくとして、 唯物論的実在主義者 よりも 論理実証主義者 のほうが現在の物理学においては思考力に富んでいるように思います。 アインシュタインは列記とした唯物論的実在主義者でした。 ですから「 量子は波であり、 その状態は観測して初めて決まる。」という事実は、 彼にはとうてい受け入れることができなかったのです。