一人一宇宙
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2019.02.18


 「 唯識 」すなわち「 唯だ心だけが存在する 」という思想が仏教にあります。 古典物理学の唯物論とは真反対の思想です。 唯識論の第一人者であられる横山紘一さんは、 唯識塾 というサイトで次のようなことを述べておられます。
                 * http://www.kouitsu.org/ext5.html

  普通、 私たちは自分の外に事物が自然があると思っています。 たとえば、 眼の前に一本の木があるとします。 そして三人いれば、 三人がその一本の木を見ていると考えます。 しかし、 木は一本ではなくて三本あるのです。 なぜなら、 一人ひとりにとっての木は、 それぞれの人の心の中に生じた 影像 であるからです。 いや、「 木は外にある。」と言い張ってもそれはたしかな判断ではありません。 なぜなら、 だれ一人自分の心の外へ出たことがないからです。 だから木が外にあるとしても、 その木を直接認識した人はいないのです。 他人という存在についても同じです。 ある人を見ていると言いますが、 私は私の外に抜け出したことはないのですから、 その人は木と同じく私の心の中の影像です。 本当に私たちは「 一人一宇宙 」に閉じ込められた、 いわば囚人のようなものです。
  自分とは 縁起 によって生じる心の中の宇宙にすぎません。 私たちは言葉によって「 自分 」を無理に作りだし、 それを「 他人 」と対立させます。 また、「 自 」、「 他 」、「 自他間の行為 」を分別して右往左往しています。 しかし、 縁起の理を理解し、 言葉に捕らわれないで「 そのときになりきって生きること 」によって 無分別 となり、「 自 」が仮にあるとしても、 その「 自 」は「 他 」によって生かされてあると知って「 ありがとう 」という感謝の気持ちが強くなってきます。


  縁起とは、 単なる原因と結果の関係ではありません。 唯識論における繋がりを表す「 空 」の思想であるところの「 縁起 と 無分別 」はさておき、「 一人一宇宙 」という発想は、 特殊相対性理論を正しく理解するための大きな武器になると思います。

  ここに光を出し続ける光源があります。 それに対して多数の人が 思い思いの方向 に 思い思いの速さ で等速直線運動をして移動しています。 このとき、 彼らが見るその光源から伝わってくる光の速さはすべて同じであるというのが「 光速普遍の原理です。」そして、 Aさんから見たBさんに対する光の速さは、 Bさんが見る光の速さと異なるので、 同時性が消失するとかなんとか言って騒いでいるのです。

  自分の世界においては点でしかない他人も、 各自が無限に広がる独自の世界を持っていることは、 みんな知っています。 そうです、 アインシュタインの相対性理論における慣性系( 時空間 )は、 このようなイメージで捉えなければならないのです。 あなたの慣性系にとってはあなたの有する慣性系は無限に広がる空間ですが、 私の慣性系にとってはあなたの有する慣性系は無限に広がる空間ではなくて点でしかないのです。 ここを間違って、 みんなに共通する慣性系があると常識的に考えてしまうと、 相対性理論の矛盾に陥ってしまいます。 アインシュタインですらそこで間違てしまっているののですから、「 相対性理論 」って不思議なものですね。