視覚における第3者的観察の誤り
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2011.10.10
京都盆地の東側には蓮華王院があり、 西側には地蔵院があります。 竹の寺として知られる地蔵院は、 千体の千手観音立像の三十三間堂で有名な蓮華王院からは、 西に向かって約 8km の所にあります。 私は、 今、 地蔵院の庭から、 南中している太陽を見ています。 そして考えています。 今この太陽を蓮華王院にいる人が見たら、 どれくらい西に傾いているのかしらと。 私の脳裏にあるのは、 冬の山陰の海岸を車で走る時に、 海上に見えてくる光芒( こうぼう )です。 灰色の日本海に立ち込めるどんよりとした雲間から、 太陽の光が海面に投げかけられ、 そこの部分だけがきらきらと金色に輝いています。 また、 その周辺の空には仏様の背光(後光)のような透き通った黒と黄色の末広がりの帯がカーテンをひいたようにいくつもいくつも見えています。 それらは決して平行線ではありません。 これは、 光の回折と屈折による現象です。
しかし、 実際は、 蓮華王院にいる人にとっても、 太陽は南中しているのです。( 極めて正確に言うと、 南中直後ですが。) それは、 太陽光線が遠方からやってくる平行光線だからです。 地球からすると、 太陽光線は平行光線と考えてよいからです。 また、 満月の夕方に外を歩くと、 お月さんはずっとついてきます。 あの山の上にじっとしているのでありません。 それはお月さんの光が屈折しているからではありません。 お月さんの光も、 我々の歩行範囲からすると平行光線に限りなく近いからです。
しかし、 私たちの感覚器から入ってくる情報に対する認識力は、「 光芒は、 本来なら違う場所に届くはずの回折した光が、 大気の粒子によって屈折して我々の目に届いたものである。」といった理性的なものではなく、 一般の太陽光についても「 あの天球上を移動している太陽から放射状に光が届いてんだろう。」というくらいのものですので、 第3者的にあの人はこの事実をこう見ているんだろうと想像することは、 実際に当事者が見ている風景とは随分と異なるんだということを知っておかなければなりません。