地動説の歴史
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2021.10.17____
中世のキリスト教では、天動説( 地球の周りを太陽と月と惑星が公転しているという学説 )が公認されており、地球は球体であるとされていました。ただし、キリスト教の一部では地球球体説は認められていませんでした。地球球体説が証明されたのは、1522年のマゼラン世界一周です。ヨーロッパでは、1700年初頭にはケプラーの惑星の運動法則やニュートンの万有引力の法則が知識人の常識になっており、地動説( 宇宙の中心は太陽であり、地球は他の惑星とともに太陽の周りを自転しながら公転しているという学説 )が有力になっていました。地球が自転していることが証明されたのは、1851年に行われたフーコーの振り子による実験によってであり、地球が太陽の周りを公転していることが証明されたのは、1838年頃に確認された近位恒星の年周視差であったと考えられます。
地球球体説は紀元前5世頃の古代ギリシャ時代からあったようです。プラトンの弟子のアリストテレス( 紀元前384〜322年 )は、月食の形は地球が球体であるからだと考えていました。また、エラトステネス( 紀元前276〜194年 )は、夏至に太陽が真上にくる地点とそうでない地点の三角法によって地球の周長を概算しています。
アリストテレスは天動説をとっています。一方、最初に地動説を唱えたのはアリスタルコス( 紀元前310〜230年頃 )です。しかし、その後、プトレマイオス( 紀元前83年頃〜紀元後168年頃 )によって惑星の逆行運動のつじつま合わせが行われ、天動説がゆるぎないものとなりました。惑星の逆行運動は、今でこそ地動説の証拠になっているのですが。
地動説と言えば、コペルニクス( 1473〜1543年 )や ガリレオ( 1564〜1642年 )が有名です。コペルニクスは惑星の運行予想を数式で表わすためには地動説でないといけないことを発見しました。また、ガリレオは木星の衛星を発見し、月は地球の衛星だと気づいたのです。彼らは、地動説を発見したのでもなく証明したのでもありません。彼らは地動説を強く支持する証拠を発見したのです。
なぜ中世のキリスト教は天動説に固執したのでしょうか。「唯一神」を信仰するのであれば、人や地球を超えた存在としての太陽中心の見方をするべきだと思うのですが・・・。それは、中世のキリスト教が地球の大地を拠り所にしていたためであろうと思います。なぜなら、当時は土地が生産手段の最も重要なものであったからでしょう。地球規模で動いている社会が宇宙規模で動いている自然をなかなか受け入れようとしないということは、現代社会でも同じことのようです。