私が高校までに過ごした家は、 いずれも北側の比較的近い所に比較的高い山があり、 南側は広い田畑で開けていましたので、 大学時代に山陰地方で暮らした時に、 方向音痴になってしました。 北と南の感覚が反対になってしまったのです。 昼間に太陽を見るのには、 海に背を向けて岡山県の山の方角を見なくてはならず、 それがなんとも変な感じだったのを覚えています。 大学時代の初期に暮らした辺りでは、 太陽は海の方から登って、 湖の向こうの山の方へと沈んで行きました。 朝焼けも夕焼けもきれいでした。 夕日は下宿の窓から見ることができました。 ドゥボルザークの弦楽四重奏曲「 アメリカ 」を聞きながら、 刻々と変わる日没の空の色を眺めては涙を流していました。 その下宿で夜どおし友達と話しこんだあと、 自転車に乗って海に日の出を見に行ったこともありました。 山陰地方では海は北側にありますが、 陸は海に向かって凸凹していますから、 太陽が海から登ることだってあるのです。 また、 よく考えて見ると、 水平線からの日の出の位置は、 春分から秋分までの半年間は真東よりも北側になっているのです。 そう山陰の海は北に広がる日本海。 あるのは北山ではなくて南山。
短気でコミュニケーションが下手くそな私は、 ときどき感情を辺りにまき散らしてしまって、 あとからへこんでしまうことがあります。 そんなときに思い出すのが冒頭の句です。 松原泰三和尚が本で紹介してくれたものです。 あれこれと思いわずらわないでも、 謹んで時が来るのを待っていれば、 壊れかけた信用や人間関係も元に戻っていくという意味だそうです。 しいては、 我や煩悩に捉われずに日々の行いを正していけば、 実は身近にある「 悟り 」が見えてくるという意味だそうです。
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